自分は、人間がAGIを作り、そのAGIがまたそれ自身よりも少し賢いAGIを作り、そしてまたそのAGIが......と進化を繰り返して、ASIというものが誕生し、従来の仕事がなくなるということを知る前から、絶対にお金のために仕事をしたくないと思っており、それが約半年前に高校を中退した一つの理由でもありました。ここで、個人的な推測ですが、自分を含めたほとんどの人が、お金が稼げなくなるから、AGIまたはASIに仕事を奪われるのがイヤなのではなく、仕事を奪われてもベーシックインカムなどで生活はしていけるけど、「寿命が尽きるまでやりたいことがない」という恐怖を無意識のうちに持っているからではないかと思います。それは皮肉なことに、AGIやASIによってあらゆる病気が治る時代が来ると同時に、虚無感という精神衛生上最も良くない病気が蔓延することを示唆しているからです。「人間同士の頭の良さや賢さなどの、知能面での能力の差がそれらによって無効化された時に、それでも自分はこれがやりたい」という情熱は、常識というレールから外れることを悪とする価値観からは生まれてこないような気がします。ですが、お金などを気にせず、純粋な気持ちで「やりたいこと」を見つけられる能力と環境は、実は自分で全てを選ぶ権利がないとされている子供にしか存分に与えられていないのではないかという気がして、この文章を書きました。
それは偽物だ!
「もし私が、あなたの『良さ』ゆえにあなたを愛するなら、それは愛ではなく、あなたを『利用』しているに過ぎない』という言葉に感銘を受けたので、この日記を書いています。どんなにお金を手に入れても、名声を手に入れても、「無条件の肯定」がなかったらそれほど虚しいことはないと思います。確かに、子供の自分からしても多くの親たちが子供たちのためを本当に思って受験勉強をさせたりしているのは分かるのですが、子供たちに「本当の自分を見せたら愛されない」という思いをさせていないでしょうか?個人的には、子供たちにそう思わせないことが、子供たちに真に幸せな人生を送ってもらうための学歴や安定した収入よりも何倍も大きな要素になると思いますが、大人の皆さんはどう思いますか?
若さの使い方
10代の青少年にとって、唯一大人たちに羨ましがられるのは若さとそれに伴う副産物だと思うのですが、個人的には自分の天職を探す時間が多いということが一番の副産物です。自分自身にとって天職とは、他人から文句を言われるのを防ぎ、かつ、虚しさから目を背けさせてくれる対象であり、天職を探す時間があればあるほど、「これは面白いかも...」と思う一つのことに長期間没頭し、その分野の全体像を把握し、「これが天職だ!」と思えなかったら他のことに長期間没頭して...というサイクルを繰り返せるからです。一方で、10代の青少年は「何者でもない自分」に焦りを感じ始め、焦って選択をミスする可能性もあるので、「他人から文句を言われないようにする」ということは全く意識せず、今現在の虚しさや退屈から目を背けさせてくれるものだけに長期間没頭してみるのが良いと思って生きています。
退屈......
自分が高校にまだ在学していた頃(約半年前)、特に”やりたいこと”もなく、大学の受験勉強だけをこなす毎日でした。そんな中、エライ大人たちは、「”やりたいこと”がないからこそ、とりあえずは大学受験の勉強をするのだ!」と張り切っていました...。ただ、そのエライ大人たちの中には塾講師という肩書きの人もいて、自分の心の中では「結局勉強しても、”やりたいこと”は見つからなかったのではないか?」と思っていました。そして、今、自分の部屋で半年ほど過ごしてみて思ったことは、「退屈」こそが「やりたいこと」に繋がる唯一の手段なのではないかということです。つまり、今の世の中で、特に若い人たちが”やりたいこと”を見つけづらいのは、過激な受験戦争、スマートフォンとそれに伴うSNSの普及、タイムパフォーマンス病などによって、「退屈」が失われているからではないかと思います。しかし、もし若者が本当に「退屈」、つまり「自由」な世界に飛び込むならば、周りからは「サボっている」と非難され、心配されてしまいます。そこで、非難されたり心配されるのを恐れていたら何も新しいことは始まらないと信じ、17歳の今だからこそ、あえて自由の極致に到達して巨大な虚無に向き合い、そこから”やりたいこと”を見つけ出そうとしているというのが、今、自分が高校を辞めて、一人で自分の部屋で過ごしている理由のおよそ20%を占めているのです。
もうすぐ春ですね!
桜の花は、春になると満開に咲いて枯れて、また1年後の春には満開の花が咲くけれど、人間は満開の花が咲いたら、そこからは枯れていくだけだと思います。それに、そもそも人生を満開で終わらせることは常人では出来ないことだと思います。また、仮に満開で終わらせられたとしても、その先を本人が見ることは多分出来ないので、結局は100%妥協せずに”これ以上ない人生”を生きようとすることは、”不可能”だという結論になるような気がします......。今の自分はこれから長いかもしれない自分の人生をどうやって生きるべきかと言う”軸”を見つけようと努めているのですが、今度は頭でっかちになっていくだけで行動が伴わない人になりそうで、全くバランスを取るのが難しいなと思って最近はフラストレーションが溜まっています......。
明日がある
「明日がある」という言葉が嫌いになってしまいました。自分がプログラミングを学習している大きな理由は、「アイディア一つで、最も容易に世界を変えることができるから」と考えているからであり、また、英語を学習している理由は「コミニュケーションの手段を増やすため」であって、就職してエンジニアになりたいとも思わないし、英語の資格を取りたいとも思わないのです。でも、いかにその理由が一般的な損得勘定とかけ離れていたとしても「今」を「将来」のために浪費しまっていることに変わりはありません。なぜなら、もし今日が地球最後の日だとしたら、プログラミングの基礎文法を学習しようとは思わないし、英語のリスニングなどもやろうと思わないからです...。こんなことを考えていると、行動できなくなります。なので、筋トレだけは必ず欠かさずにやろうと思います。
青春自慢は10代にとっては一番されたくない自慢
自分は高校を辞めて家でプログラミングや英語のイマージョンなど、とにかく自分がワクワクして興味のあることだけをして毎日過ごしている17歳なのですが、いわゆる高校生活における”青春”とは無縁です。一人で自分の部屋で色々やっている時間が将来、振り返った時に「青春だったな」と言えるのでしょうか?でも、世の中には「あの時はよかった!」と言う大人が多くて、内心では、「じゃあ、”今”はどうなんだよ!”今”が一番輝いていない奴の言っていることなんか信じない」と思っていますが、やっぱり過去の栄光でも、それを持っている人にはなぜか憧れます...。こうやって文章にしないと気が済まなかったのです...。